2006年10月09日

4日目:萩→津和野→益田

部屋のどこかに居るゴキちゃんとドキドキの夜を過ごし、朝、7時過ぎに起床。
顔洗って食堂に行くと、既に、昨夜ロビーで萩の本を読んでたおじさんが朝食を食べてて、さらにもう1人、昨夜「お国言葉トーク」で軽く盛り上がった大学生の男の子がやってきて、さらにさらに、昨夜は見なかった、欧米系のとってもハンサムな若い男の人が1人、やってきました。
やった!今日は朝からツイてる!(爆)

彼はかなり、日本語がアヤシイかんじだったのですが、とりあえず、どこから来たのかと日本語で聞いたら、カナダのモントリオールだと。
8月から、福岡のナントカっていう市?町?に来て英語の先生やってるんだって。(ALTかな?)
モントリオールって・・・フランス語圏じゃなかったっけ?まぁいいや。
で、おじさんが、日本人の英語の上達のしかたはどうですか?って聞いたんだけど、彼は日本語があまりわからないらしく、おじさんも大学生も英語はあまり得意じゃないらしいので、私が英語で通訳してあげたら、彼は、「日本の英語教育がそんなにまずいとは思わないけど、ただ、せっかく英語を勉強してもそれを実践する機会がないというのが問題だと思う。僕はフランス語圏に住んでるけど、当然英語も勉強したわけで。勉強のしかたは、カナダも日本も変わらないけど、僕ら(フランス語圏のカナダ人)は、英語を使う機会がたくさんあるからね」というようなことを言っていたのですね。

ん・・・やっぱこの人、フランス語話すんだ。
と思って、「実は私、趣味で英語もフランス語も勉強してるんです」って(とりあえず英語で)言ったら、急に彼がフランス語にスイッチして、「えっフランス語話せるの?なんで?大学で勉強したの?」と聞かれ、「大学と、その後。去年フランスの学校にも行きました、1ヶ月だけだけど・・・。フランス語歴はトータル3年ぐらい」ってフランス語で答えたら、「すごいフランス語上手だね〜!」って褒められました。
やった〜!
たぶん、お世辞も入ってると思うけど、素直に喜ぶことにします。
その後もいろんなことフランス語で会話して、楽しかったな〜。
てか、仙台でもレッスン以外でフランス語話すことなんかほとんどないのに、まさか萩でフランス語話すことになるとはね。
そんでもって、私も、フランス語を母国語とする人とそれなりに会話できるくらいの会話力がついたんだなーと思ってうれしいです。
昨年フランスに行ったときにゃあひどかったのよ。(自爆)
レッスンでしか話してないとさ、実際どのぐらい自分のフランス語が上達してんのか、よくわからんのよね。

ちなみに彼が言うには、日本に来てフランス語を話せる人に出会ったのは私がまだ2人目だそうです。
しかも、モントリオールに居た頃も、何人か日本人に会ったけれど、フランス語圏であるにもかかわらず、ほとんど誰もフランス語は話せなかった、と。
彼は英語ももちろんぺらぺらだけど、でもなんとなく、フランス語話してるときのほうが生き生きしてるような気がしました。
そりゃそうだよね、フランス語で生まれ育ったんだし、こんな遠い異国で母国語を知る人に出会ったらうれしいに決まってるさ。

連絡先聞いておかなかったことを、今、ものすごーく後悔しています。。。

その後、昨日に引き続きレンタサイクルで萩観光にスタート。
まずは、旧厚狭毛利家萩屋敷を見た後、萩城跡へ。

06100901.JPG
萩城入口。いいお天気!後ろに見えるのは指月山。

萩城って、毛利輝元がつくったんですね。
あーんなに、萩に行きたい行きたい行きたい!って言ってたわりに、全然知りませんでした(爆)
そんなりょうこさんは、明治維新のことは知らなくても戦国時代のことはちょっと知ってますよ。
毛利輝元は、知将・毛利元就の孫で、父・隆元(元就の長男)が若くして亡くなったので、元就にじきじきに英才教育を受けたのですよね。
元就亡き後は、豊臣秀吉に認められて五大老に選ばれ、関ヶ原の戦いでは西軍の大将をつとめるほどの大武将に成長したのです。
負けたけど・・・。
てか、それで負けたので、長州(萩)に追いやられてしまったのですね。

萩城は、「萩城跡」ってぐらいだからお城そのものは残ってないんですが(明治の廃藩置県で取り壊されたとのこと)、お堀や天守閣の石垣などはそのまま残っていて、当時を偲ばせます。
ってかココ、散歩するのは最高!敷地内に木々が生い茂って、その合間をぬうように歩道がめぐっていて、通り抜ける風がとても気持ちよいです。
レンタサイクルのまま城跡内に入れるので、思わずぐるぐるぐるぐる意味もなく走り回ってしまいました。

ちなみに、萩城は、天守閣のうしろにこんもりとそびえる指月山にちなんで指月城とも呼ばれたそうです。
その指月山には二の丸、三の丸が作られ、城や城下町を監視する役割を果たしていたらしいのですが、城が取り壊されてからも、神聖な場所として人々が立ち入りを自粛したために、今も、手つかずの自然が多く残っているそうです。
もちろん今は歩道が整備されているし、たいして高い山ではないので(片道20分ぐらい?)、ちょっと登ってみたかったけれど、時間が押してきてるので断念。

城跡内には神社があって、毛利元就・隆元・輝元・・・が祀られていたので一応お参りしてきました。
毛利元就は、戦国武将の中で伊達政宗の次くらいに好きだ。

萩城跡を出て、江戸屋横丁・伊勢屋横丁・菊屋横丁方面に行きました。
昨日、竹灯篭でライトアップされてるところは見たけど、やっぱ明るいところでも見てみたいもんね。
このあたりは、土蔵や武家屋敷などが今も残っており、城下町の面影をそのまま残していて、雰囲気ばっちりってかんじです。
歩いてるだけでなんか心がほっこりするというか、むしろうきうきするりょうこさんです。
木戸孝允や高杉晋作の旧宅などもあり、幕末ファンならたまらないところかも。

06100902.JPG
高杉晋作旧宅。

どうでもいいけど木戸孝允の旧宅には、幼い孝允が階段に書いた落書きがケースに収められて丁寧に保存されているのね。それを見たどっかのおばあちゃんが、「アンタの落書きは、こらっ!って怒られるだけだけど、でももし将来アンタが偉い人になったら落書きもこうして残されるんだからね!(がんばりなさいよ!)」と孫にカツを入れていて、周囲の笑い(失笑)を買っていました。

そのあと萩博物館に行きました。
私の持ってる山陰ガイドブックは、まさに7年前、秋芳洞に行くときに買ったものなのですが、このガイドブックには萩博物館は載ってないのですね。
要するに、とても新しいということです。
すっごいきれいな、趣のある建物を中に入ると、萩の歴史や文化がていねいに紹介されていました。
ここでりょうこさんはやっと、明治維新のことを、ちょっとだけですが勉強しましたよ。

簡単に言うと、江戸末期、幕府もそろそろガタガタになってきたころに、アメリカの黒船が乗り込んできて、アメリカおよびヨーロッパ諸国に次々と不平等条約を結ばされた。
このまま幕府にまかせてたんじゃヤバい。幕府を倒さねば。そのためにとりあえず天皇を立てとこう。みたいな流れなんですね。
そういうことを考えた、革新的な人がこの萩(長州)に多かった、と。
それは、萩には、松下村塾という、独自に何かを勉強しよう!という場所があったのが大きく影響しているわけですが、そもそも萩にはそういう私塾が立つバックグラウンドがあったらしい。
というのは、最初に萩に入城した毛利輝元が関ヶ原の戦いで負けたのが、ある意味策略にハマった部分もあったらしくて、そのことを教訓として説いていった、その気質が、脈々と受け継がれたものであるというようなことも言われているようです。

ほほぉ〜〜〜〜。

歴史ってさぁ、昔学生の頃は、「もう終わったこと勉強して何が面白いんだ」とか思ってたけど、全て、現在に通じる一本の道なんだよね。
そう考えると、そして、実際に見て触れてみると、歴史にもとても興味が湧いてきます。

そうそう、萩って、夏みかんが名産らしく、夏みかんに関する展示もすこし、あったのですが、薬剤師の私、とても気になることがあります。
それはですね、「ある種の血圧の薬とグレープフルーツジュースは飲み合わせが悪い」ってこと、ご存知の方も多いと思うんですが(まっ血圧の薬以外にもあるんだけどね。でもって、ジュースでなく生で食べるだけなら影響は少ないとは言われているけれど、それでもやっぱり避けたほうが無難です)、実は、グレープフルーツだけじゃなく、夏みかんも飲み合わせが悪いと言われているんですよ(はい!ここで皆さん、「へぇ〜」と声に出して言うこと! 笑)。
でもさ、夏みかんって、普通あんまりスーパーとかで見かけないですよね。はっさくとか、甘夏とかはあるけど(ちなみに、はっさくや甘夏は飲み合わせ問題なしと言われています)。
だから、ふだん、夏みかんも気をつけてくださいねだなんていちいち説明しないんですよね。詳しく聞かれれば答えますけど。。。
でも、萩では、こんだけ夏みかんがあふれているのだから、萩の薬剤師は、「このお薬は、グレープフルーツや夏みかんのジュースと飲み合わせが悪いですから気をつけてくださいね」とかなんとか説明しているんだろうか・・・うーん・・・知りたい・・・
・・・職業病ですな。(苦笑)

萩博物館を出た後、萩焼でも買って帰ろうかと思って、そのへんにあったお店に入りました。
萩焼は、サムエル伊藤氏言うところの「土系」で(ってこのネタわかる人居るのかなぁ?)、素朴なあたたかみが魅力の焼きものです。
我が家ったらろくなお茶碗使っていないので、両親と私のぶんのお茶碗を買いました。

それと、萩の名産「夏みかん」のお菓子などをちょこちょこ購入。
のどがかわいたので、夏みかんジュースはその場でぐいっと一気飲み。うまい!

ユースに戻って、自転車を返し、ペアレントさんにお別れをして、バスに乗って萩バスセンターへ。
13:35ごろバスセンターに着くと、ちょうど、13:37発津和野行きのバスがやってきた。
恐ろしいくらいのナイスタイミングで早速乗り換え。
これで、萩にもさよならです。
あ〜。萩、いいところだ。
欲張りすぎていろんなものを駆け足で見たけれど、もっとゆっくり居たかった〜。
いつかまた、萩に来たいな。

津和野行きのバスの乗客は、なんと、私一人だけでした。
たった一人の客のために津和野まで運行するなんて、大赤字だよねぇ〜。なんか申し訳ないな。
とかって、べつに、私が気にする必要はないんだけどさ。。。
けどね、萩を13時半に出てね、15時前に津和野に着くんですよ。萩のついでにちょっと津和野を観光、っていう人にはとっても便利なバスだと思うんだけどな。みんな、知らないのかな?それか、単に今日が連休最終日だったので、そういうコースを取った人が居なかっただけかもしれないけど。

山道をゆらゆら揺られてつい爆睡してしまい、目が覚めたらもう津和野でした。
小さな温泉街ってかんじでこじんまりしてとてもいいかんじです。
駅前のレンタサイクルやさんに大きな荷物を預けてチャリ借りて、早速津和野観光スタート。
石畳の商店街ではお祭りが開催中で、津和野伝承の民族音楽・芸能が披露されたり露店がいっぱいでてにぎわってました。
そこで、鮎の塩焼きを食べながらしばらくその民族芸能を見てました。

06100903.JPG
何という芸能なんでしょうね?

再びチャリにまたがって少し行くと、津和野名物のエリアに突入。
というのは、津和野って、堀に鯉がうようよ泳いでいるんですよね。
山陰の小京都と呼ばれる趣のある町並みにうようよと泳ぐ鯉。
これは、いいですよ。
ほっこりする。

その角っこのところにあった「沙羅の木」っていう店で「津和野焼きアイス」なるものが売られていたので、ためしに食べてみることに。
お昼ごはん食べてないからお腹空いたしね。
どんなもんかと思ってよく見てたら、パン(ブリオッシュ)の中にアイスをはさんで、15秒ぐらい、じゅーっと鉄板ではさんで焼くんですね。
表面はこんがりあつあつ、中はひんやりとろとろ、なかなか美味しかったけど300円はちょっと高いよ・・・まっ観光地価格だからね。

焼きアイスを食べてたら、団体さんがやってきて、添乗員さんが「さぁ〜皆さん急いでくださいね!もうすぐSLが来ますから、まずは、SLを見てからです!」って大声で叫んでるのが聞こえてきました。
お、SL通るのかぁ。ラッキー。
というわけで、あわててその団体さんについていきました(笑)
津和野大橋(といってもそんなに大きな橋ではない)の上でしばし待っていると、大きな汽笛とともに、もくもくと煙をあげながら、SLがやってきました!
お〜!すごい!本物だ!!!
しっかり一眼レフを構えて一枚ぱちり。
うまく撮れてるといいけど。

それから、ちょっと離れた森鴎外の生家・森鴎外記念館に行きました。
私、特別文学少女というわけではなかったけれど、でもなんとなく、日本の誇る文豪だしと思って見に行くことに。

森鴎外、本名森林太郎。
津和野に生まれ、10歳までを津和野で過ごしたのだそうです。その後、この世を去るまで津和野に戻ることはなく、少年時代をすごした津和野について多くを語ることはなかったんだけど、死の間際に、森鴎外としてではなく、石見(このあたり一帯を石見と言うのですね)の森林太郎として死にたい」という遺言を残したのだそうです。
それだけ、故郷・津和野を愛していたのでしょうね。。。

さらに私個人的に興味のわいたこんなエピソードも。
鴎外は、作家であるとともに医師でもあるわけなんですが、結核のため病床に臥せってからも「医術は施してくれるな」という考えだったらしくて、たいした治療をしないままこの世を去っていったのだそうです。
医術嫌いの医師、鴎外。
薬嫌いの薬剤師、りょうこ。
なんかちょっと、共通点あるじゃないですか。
だいぶ、レベル違うけど・・・

そんなエピソードを聞いたら、妙に森鴎外に親近感を覚えてしまって、ちゃんと、鴎外の作品を読んでみようかな?という気持ちになりました。
高校生の頃、国語の授業とか大大大嫌いだったのに、大人になると変わるもんなんですねぇ。
てか私、歴史も国語も大人になってから好きになったんだよね。
いかに、学校の授業がつまんなかったかってことよぉ。ぷんぷん。

それから、多胡家老門、藩校養老館、津和野カトリック教会などを見学し、太鼓谷稲成神社へ。
この、太鼓谷稲成神社が、すごかったですよ。
赤い小さな鳥居が山道に沿ってぶぁーーーーーーーっと連なってて、まるでトンネルのようになってんの。
その、鳥居のトンネルをくぐりながら階段をずっと登っていくと数分で稲成神社拝殿に到着。
ちなみに、稲「荷」じゃなく稲「成」と表記する理由は、大願成就の祈りがこめられているからだそうです。

と、いうわけで、「大願」、一生懸命お祈りしてきましたよ。
そして、どきどきしながらおみくじをひいたら・・・中吉でした。
まっ、普通ってことだわな普通。
普通が一番だよきっと・・・。

ちなみに、神社からの津和野の眺めはなかなかでしたよ。

再び鳥居のトンネルをくぐって下に下りた頃には18時になろうかという時間帯で、だいぶ、あたりも暗くなってきました。
レンタサイクルが18:30までなので、そろそろ駅前に帰ろうかな。
はー。萩に続いて津和野もなんだかとっても駆け足だったな。
津和野ってあんまり広くないんだけれど、にしても滞在時間4時間弱はあわただしすぎる(だいたいのものが17時で終わりというのもあるだけどね)。

萩は1日、津和野は半日、足りなかったなーというかんじです。。。
おっとその前の秋芳洞・秋吉台も全然足りなかったし。。。
じっくり見て回ろうと思ったら、トータルであと2日余計にかかるってことだな。。。
まっ、次回の参考にということで。。。

すっかり暗くなった津和野を駆け抜け、駅前に戻り、チャリを返却。
津和野に別れを告げ、JRで益田へ向かいました。
津和野に泊まると明日のスケジュールがきついし、津和野YHがペアレントさん高齢のため数年前閉めてしまったとのことなので、ならば少しでも先に進んでおこうと思って、益田のホテルを予約しておいたのです。

JRで40分ほどで益田に到着。
まだ20時前だっつうのに益田駅前は真っ暗です。おなかすいたからなんか食べたかったんだけどな〜。どこもかしこももう閉まってるよ。なんて早いんだ。
ほんと、旅行してると、仙台ってなにげに都会だなーと思っちゃう。。。

しょうがないのでホテルに直行し、ホテルのレストランでビール飲みながら親子丼を食べて(私、男前だ! 爆)、近くのコンビニでちょこちょこ買い物をし、ホテルに戻ってネットで情報収集しながら明日の作戦を立てる。
私ったら、おおまかな予定は立ててきたものの、細かいことはあんまり調べてきてないんですよねぇ。
風の吹くまま気の向くままのんびりと旅ができればいいんだろうけど、限られた時間にぎゅうぎゅうづめにスケジュール詰め込んでしまったので、電車・バスの時間などを調べておかないと痛い目に遭います。
しかも明日、泊まる予定だった松江YHが突然休館日らしい。がびーん(号泣)
電話で、松江YHのペアレントさんが「松江駅前のホテルはユースと同じぐらいの料金で泊まれますから大丈夫ですよ〜」って言うんだけど、いや、値段の問題だけじゃなくて、観光コースが変わっちゃうことのほうが大きな問題だったりもするわけで。。。
あわててホテルを探して予約して、ユースに行くつもりで立ててた計画も最初から練り直しです。
そうしてあわただしい夜が更けてゆく・・・
posted by りょうこ at 23:59 | 宮城 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 2006サムエルFINAL TOURのついでの山陰旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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